
起業動機のひとつに「モノづくりへのこだわり」があったという。商品を右から左へと動かして口銭を得るそれまでの仕事には、煮えきらない感じがつきまとったらしい。
岩井亮司さん(昭和二〇年生まれ)は、東北大学工学部で機械を専攻し、同級生たちが自動車メーカーや機械メーカーに就職していくなかで、伊藤忠商事に入った。昭和四〇年代のはじめ総合商社は大規模な建設・機械などを扱うことよってさらに飛躍をするべく、理工系の学生を数多く抱えようとしていた。学生たちにしてみれば、無試験で入社できるのが魅力であった。
産業機械の販売を手がけたり、建設機械会社に出向したり、船積み書類の作成などを容易にするためコンピュータシステムを導入したり、パキスタンの首都イスラマバードに駐在してODA(政府開発援助)の仕事をこなしたりするうちに五〇代の半ばにさしかかった。
「パキスタンには五年半いましたからね。日本に帰ったところで、年齢的にもたいした仕事をさせてもらえない、と思っていました」
帰国するとみずからの意思で伊藤忠を退職して、系列の会社に再就職をした。その会社は東北地方に出先がなく、仙台で育った岩井さんが事務所開設や顧客獲得の任にあたるのがいいとなったようである。それから三年ほどして、岩井さんは起業した。東北の地でさまざまな業種の人たちと接するうちに「米ぬか」に出会い、のめり込んだのである。
《二〇〇二年、代表者(注・岩井さんのこと)が、米ぬかを効率的に発酵させる菌を発見しました。同時に、味噌醤油業界で長年発酵技術に携わってきた技術者の協力を得て、安定した米ぬか発酵製品を生産する技術を完成させました。/二〇〇三年三月、上記の米ぬか発酵技術をベースとして、米ぬか発酵製品を製造・販売する事業をスタートしました》
と設立したサイワイ発酵株式会社のホームページ(http://www.saiwai-fc.jp/)にある。米ぬかを発酵させて健康食品を製造し、それを販売することにしたのである。
ここでは商品紹介をするよりも、自力でメーカーを立ちあげた元商社マンの奮闘、誤算、泣き笑いを書きすすめていく。起業するにあたって、折から二つの天恵があった。ひとつは最低でも資本金一〇〇〇万円を必要とした「株式会社」の設立が、その金額に縛られず可能になったことである。当時、マスコミはこうした「一円起業」を報じていた。しかし「一円」で会社が運営できるはずもない。そもそも会社登記の手続きをするだけでも、二十数万円の諸費用がかかる。さらに事務所費、設備費、従業員の給料を支払うとなると相応の資本金は必要である。
「それでも有限会社と株式会社では世間の信用がちがう。一〇〇〇万円不要の新制度は、私にとってありがたいことでしたね」
さらにひとつ「高齢者等共同就業機会創設助成金」という制度があると知ったことである。四五歳をすぎた三人以上が、その職業経験をいかし、共同して創業(法人設立)し、高年齢者等(四五歳以上六五歳未満)を雇用保険被保険者として雇い入れて継続的な雇用・就業の場を創設・運営すれば、その事業の開始に要した費用について、五〇〇万円を限度に給付されるというのである。そのためには計画書を都道府県の「高年齢者雇用保険開発協会」を経由して、独立行政法人「高齢・障害者雇用支援機構」に提出、助成金を申請の手続を取る必要がある。
「この助成金は絶対にもらおうと思いましてね。書類づくりにも励みました」
こうして助成金五〇〇万円に自己資金五百万円をくわえて資本金一〇〇〇万円とし、自宅に事務所をおき、運送会社を経営する義兄の事務所の脇に小さな工場を設けて、五八歳のときに会社を立ちあげた。
健康食品の製造・販売ばあい、なにはともあれ商品を知ってもらわねばならず、それによってヒットするのが望ましい。そのための販促活動をしなければならない。まずはホームページを開設して商品をうたった。しかし素人が作成した最初のものはアピール力に欠けたようで、あらためてプロの協力を得た。さらにコンサルタントの口利きで東急ハンズにおいてもらうようにした。だが商品イメージが伝わりにくいのか、売れゆきは思わしくなく、棚から引きあげられることになった。
「リスキーなことはしない」と肝に銘じていた。それでも隘路から脱けだしたいとの思いが、背中を押したのだろう。発行部数五〇万部というある会員制の月刊誌にオリコミ広告を入れてもらうのがいい、という助言を聞き入れた。ただし五〇万部のチラシを刷っても、それの費用に見合う注文があるとは思えない。そこで年齢層を絞りこんで、五万部だけチラシを入れることにした。印刷代、手間賃などに二〇〇万円ほどを要した。反響はというとサンプルの申し込みが五〇件ほど、注文となると二名にすぎなかった。
そうしたなかで、ある健康雑誌で豆乳に混ぜて飲む利用法を紹介したところかなりの反響があった。一進一退がつづく。
「・米ぬか命・という飲用者もいらっしゃって、私としてはいい商品であると思うのですが、販促の限界を感じたりしています」
米ぬかの発酵方法とその製品は特許を出願して、成立した。いまは業務用の半製品として販売するのがいいのではないかと考えたりもしている。現在、年間二〇〇万円の赤字であるという。赤字分は、岩井さんがアルバイトをすることによって一〇〇万円ほど補填している。国立大学が所有する特許を民間企業に販売する会社で嘱託として働いている。差し引き一〇〇万円の損金であるが、この金額について、起業は自分がよりよく生きる手段であると割りきり、事業を持続させるしかない。
「まだカミさんから不満の声はあがっていません。カミさんも米ぬかのおかげで虚弱体質を改善できましたからね」
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(かとう・ひとし) 1947年、名古屋市生まれ。72年、早稲田大学政治経済学部卒業。![[ファイブエル]バックナンバー](/img/side_backnumber.gif)