木村― 明治大学の軽音楽クラブで宇崎さんにはじめてお会いになったわけですけど、軽音楽クラブに入ろうと思われたのはどうしてですか。
阿木― それはもう本当にね、彼が勧誘してくれたからなんです。向こうも同じ学年なんですが、付属中学、高校とブラスバンド部に入っていて、先輩が軽音楽クラブに大勢いたから、一年生のわりに態度が大きくて、一年生のくせに一年生を勧誘していて、私は、その網に引っかかった。本当に明大に入って一日目に知り合ったんです。
木村― ああそうなんですか。

阿木― 初日に登校して、教室に着く前に勧誘されて、部室をちょっと見ませんかとか、一応ここに住所を書いて、入部申込みをしなさいとかね。
音楽がとりわけ好きとかではなかったんです。本当は高校のときから英語を話したくて、ESS(英会話クラブ)に入ろうと決めてたのに、なぜか軽音楽クラブに引っかかって、今日に至っています。
木村― 運命的な出会いで、まあ出会うべくして出会ったっていう感じですかね。
阿木― そうですね。あとから考えてみると、まあよく言われるみたいに、「偶然ではなく、ひとつの必然だったのかなあ」というふうには思いますけどね。
木村― 宇崎さんは、そのときに「この人しかいない」と思われそうですけど、阿木さんのほうは、そうでもなかったんですか。
阿木― 私は、あまりピンとこなかったですね。同学年だけど彼のほうがひとつ下だし、大学へ入ってすぐの頃って、上級生にばかり目がいって、同級生や年下の男の子がすごく子どもに見えるでしょう。だから「何を寝ぼけたことを言ってるんだろう」ぐらいに笑い飛ばしていた感じですね。
木村― それで最初なんとも思われなかった宇崎さんを、いつ頃から「この人なら」と思われたんですか。
阿木― 大学三年生になる頃には、二年間ぐらい同じ部活の仲間として冷静に見る時間があったので、彼の持っている前向きな姿勢とか明るさ、それに私には彼の持っている社交的なところがないんで、そういうところにとても惹かれて。それから、ギターのコード進行のこととか、ほんとに音楽のことすべてをやさしくサポートしてくれたんです。
四年生になる頃には、変な言い方なんですけど、彼がしてくれたやさしさに対してきっちり恩は返そうと思って。仁義じゃないけど、これだけ思い入れてくれたんだからきちんとお返ししよう、人生の責任をとろうって。そうしないと「女がすたる」ぐらいの思いが自分のなかでも高まってきたんです。それに、家族がものすごい賛成してくれて。
木村― 「仁義」なんていう言葉がでてくるのがおもしろいですね。
阿木― 仁義って、もしかすると私、人生ですごい大切にしてることかもしれませんね。夫婦には夫婦の仁義の通し方があるし、ましてやこういう世界、「浮き草稼業の芸能界」にいると、とても大事なことだと思いますね。
木村― 作詞家になられたきっかけというのは、宇崎さんに、自分の作品に詞をつけてくれと頼まれたことだったんですか。
阿木― そうです。
木村― どうして宇崎さんは奥さんに発注なさったんですかね。そういう才能があると思われたんでしょうか。
阿木― ぜんぜんそんなことはなくて、最初は作詞作曲を本人がしてたんですけど、だんだん詞が手詰まりになってきて、みんなに頼んでました。我が家に遊びに来るようになってからは、父にも母にも妹にも、もう何でもいいから詞を書いてくれって。私もそのなかのひとりだったんです。そのうちに彼は作詞家志望の青年と組んだので、六、七年は詞を書かずにすみました。
でも、いろんな人に楽曲を提供してもなかなか思うように表現してくれない、自分がつくった曲は自分が歌ったほうがいいんだ、ということでバンドをつくりたいと思ったみたいです、彼は。それで「ちょっと曲が足りないから書いて」って言われたんですが、私には長いブランクがあって、詞の書き方を忘れちゃったんです、一番と二番の字数が違っていて。「じゃあ、しゃべっちゃおう」ということで、「一寸前なら憶えちゃいるが……」という、あの『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』ができた。この曲をライブにかけたらすごくお客さまの反響があったので、じゃあシングルカットしようということになり、それがミリオンセラーになったんです。当時のミリオンは、ほんとに……
木村― すごいですよね、いまと違って。
阿木― それで、ふと気がついたら「作詞家」になっていました。ほんとに世のなか不思議だなというか、わからないというか……。
木村― そこからは、作詞家としては圧倒的な評価を受けられて、それから女優さんとしても、小説も書かれて、映画監督も、舞台のプロデューサーもなさって。挫折ということはないんですか、阿木さんの人生で。
阿木― 挫折ってあんまり感じたことがないかもしれませんね。私自身、いつも発展途上と思っているので。たまたまだめでも、それは次に向けてのステップとしてとらえるので、やるだけやったら、あとは運を天にまかせる。
作詞というのは、ほんとに思いを入れて書いても、売れるか売れないかというのは、時の運みたいなものもあるし、時代ということもあるし。ですから、私のなかでは、ひとつひとつが過ぎていくもので、できれば後追いをしたくないんです。なので、挫折っていう回路をあまり使わずにすんでいるのかもしれません。
![[ファイブエル] 団塊世代のエンターテイメント誌 Entertainment Premium Magazine](/img/header_title_in.gif)



![[ファイブエル]バックナンバー](/img/side_backnumber.gif)