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ルー大柴

人生マウンテンありバレーあり

ルー大柴

しばらくテレビで見ないと思っていたルーさん
昨年、本人のブログがきっかけで再ブレーク
芸能界では奇跡とも思える復活大作戦
その真相や如何に――

木村― そもそも芸能界にお入りになったのはどういうきっかけだったんですか。

ルー― きっかけというか、それは幼稚園のときにさかのぼります。何人かが講堂でお遊戯を発表することになり、その何人かに選ばれちゃったんですよ。それで「○○組の大柴くんです」って紹介されたときに、拍手が起こったんですね、みんなから。そのときに、「ああいいな、これ」って思ったんですね。

木村― それが原体験ですね。小さい頃から人前に出るのが好きだったんですね。

ルー― ええ、そうですね。お笑いとか役者とか歌手だとか、なんでもよかったんですよ、できれば俳優になりたいなと思った時期もありますけれども。

木村― それで高校を出てから海外へ飛び出すわけですね。

ルー― 実家が印刷屋で、おじいさんがやっていたんですけど、男の子がいなかったので、非常にかわいがられて。小学校の頃から「跡継ぎはおまえだ」みたいなことをいわれ続けていました。それが嫌だったし、一回だけの人生、好きに生きたいと思って、日本を飛び出したんです。
  ヨーロッパへ行って、一人になってホッとして、路上で物を売って暮らしていました。

木村― ヨーロッパには何年ぐらいたんですか?

ルー― アバウト一年弱、スカンジナビア、ドイツ、オランダ、ベルギー……いろいろ回り、友達もできたんですけど、おじいさんが亡くなって帰ることになったんです。
  まあ、親の離婚だとかいろいろございましてね、もうごちゃごちゃでしたねえ。小さいときは、「こんな幸せな家庭はない」と思っていたのが、積み木くずしみたいにすべてが壊れていく。そこで人間の醜さといったものをいちばん多感な時期に体験したんですね。といって不良になるとか、そういうことはなかった。それは、やっぱり有名になりたいという夢があったからじゃないかと思うんです。

木村― 帰国して、三橋達也さんの付き人になるわけですね。

ルー― 演劇学校の先生に「俳優とか役者になりたいなら、スターについたほうがいい、三橋達也さんが付き人を探してる」と言われたんで、私も「なるほど」と思って、やることになった。三日ぐらいでやめようと思ってたんだけど、気がついたらいちばんロングタイムの二年半付き人をやってました。
  三橋さんには「後はなんとかするから、まだいろ」って言われたんだけど、もう待てないっていうか……。でもね、いま考えると、芸能界というつかみどころのないところでは、その二年半が非常に勉強になったし、それがベースになっていると思いますね。

木村― いい付き人だったんでしょうね、「やめるな」と言われたぐらいですから。

ルー― そうですね。最初のうちはもう怒られっぱなしでした。ともかく、この人はなにを考えているのかを読まなきゃいけない。コーヒーを飲みたいのか、水割りを飲みたいのかって。そういうことまで考えてやったから、重宝されました。

木村― 二年半でおやめになって、その後はどうすることに……。

ルー― 最初は家にいたんですけども、どうしても夢が捨てられずに、家を出て六本木のクラブでボーイをはじめたんです。そのときに、テレビで勝新太郎さんが勝アカデミーをやるっていうニュースを見て、「これは最後の賭けだ」と。勝アカデミーを受けることになって、岸田森さんと出会うんです。新劇出身の方なんですけど、その岸田さんがたまたま審査員だったんです。試験のとき、『狼たちの午後』っていう映画のアル・パチーノのふりをして、バカなパフォーマンスしたんですけど、最高点をつけてくれたらしいんですよ、私に。で、「おまえをなんとかしたい」って言われて、非常にかわいがられましたね。

木村― そこで、小堺一機さんとの出会いもあるんですね。

ルー― 同期だったんです。彼は二つ下ですけど。

木村― 勝アカデミーの一期生は何人ぐらいいたんですか。

ルー― 本科と予科があって、本科に残れたのが五、六〇人じゃないですかね。いろんなアルバイトしまして、食えなくてね。年に二、三回、せりふが一言か二言あるテレビドラマにちょこっと出たりして、「こんなことしていちゃダメだなあ」と思って……。
  三〇歳ぐらいのときにせがれができましてね、もう子どもができたんだからちゃんとやらなきゃとは思うんですけど、やっぱり夢は捨てきれない。当時は高度成長の最後のほうで、仕事はあったから、結婚式の司会だとかモデルだとか、いろんなことをやって、生活もなんとかなってきたときに、小堺くんが関根勤さんを紹介してくれたんです。
  二人のラジオ番組で私のモデル時代の営業用パンフレットが話題になったんです。「カジュアルなスタイルにウエストポーチをつけた格好」の写真に二人とも大笑いで、そこから火がついたんですね、「小堺、関根を笑わせるのは誰だ」って。で、TBSの「コサキンDEワァオ!」に出させていただいて、そこからいろいろ仕事が入るようになったんです。

木村政雄編集長 Special Interview

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