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ルー大柴

人生マウンテンありバレーあり

「夢はアカデミー賞」

木村― ところで、今日まで支えられた奥さま、やはり大きいですよね、マネージャーももちろんですけど。

ルー― ワイフですか、もちろんそうですね。私にとっては妹であり、ラバーつまり恋人であり、女房であり、母である。二年前、結婚二五年でシルバー婚だったんですよ。でも、夢しかないような男によくついてきてくれたなと思ってます。感謝してますよ。

木村― 周りの人に恵まれたということもあるんですね。

ルー― そうですね。非常に運がよかったですね。なんかダメになりそうになると誰かが入ってきて、それで自分自身もまたがんばりますからね。

木村― たぶん心が折れていなかったから、そのチャンスをつかめたんじゃないですか。目先の金儲けだけで、こっちがいいやと思わないで、最初の精神に帰れたからよかったんでしょうね。

ルー― 三〇代の「ルー大柴」と、いまの「ルー大柴」では非常にディファレントなんですよね。最初に出た三〇代のときは、気持ち悪いとか、アクが強いとか言われていたんですけど、いまは認識がずいぶん変わってきて、若い女性からも慕われているんですよ。(笑)

木村― 前の第一次ブームにくらべると、今回の第二次ではずいぶん進化してるわけですね。

ルー― そう、ぜんぜん違うと思いますね。

木村― そもそも、「ルー語」というしゃべり方、いつ頃からそうなったんですか。

ルー― 本名の大柴亨の「亨(トオル)」という字は、みんな間違えるんですね。台本でも「大柴亭」だとか……落語家じゃないんだから(笑)。
  親父はハルピン生まれで、中国語、ロシア語、日本語はもちろん、英語も少しできたんですよ。親父は私のことを小さいときから「トオル」の「ル」をとって「ルー、ルー」と言いながらかわいがってくれたんです。それで「ルー大柴」っていう芸名にしたんです。
  ルー語は、親父が英語をよく使っていたということもあるんですが、いちばんは、高校時代にアメリカンスクールの女性と恋愛をしまして、彼女が日本語と英語のトゥギャザーなんですよ。それがルー語のルーツですね。
  第一次のときに「トゥギャザー」というのが、コマーシャルで当たりましたので、ルー語というか英語をしゃべると受けたんですね。ですから五〇代で再ブレークするに当たって、マネージャーが「やっぱりルーさんって英語だ。英語がちょこっと出るだけで客をキャッチできる」って。ブログも最初は全部日本語でしたが、だんだん英語が入ってきちゃったんです。ですから第一次よりいまのほうがルー語はいっぱい出ますね。今日は、木村さんとお話しするということなので、あまりルー語を使わないようにしようと思っていたんですけど……。

木村― そうなんですか。いま五四歳におなりになったんですね。

ルー― そうでございます。

木村― これからどんな人生が待ってるんでしょうね、どうなりたいですか。

ルー― うーんどうですかね、まあいろいろありましたからね。でも、やっぱり一日一日を大切に生きていきたいなと思ってます。
  まあ、夢は壮大で、アカデミー賞をとりたいなとか、そういう夢はありますけども……。
  去年ちょっと火ついて、今年もおかげさまで仕事にも恵まれてますので、これをくずさないように努力していきたいと思ってます。

木村― ぜひ日本アカデミー賞じゃなくて、本場のアカデミー賞をとれるぐらいの作品に挑戦してほしいと思います。がんばってください。

撮影=瀬戸正人、構成=森國次郎

後記
  もちろん、ルーさん本人の努力があって成し得た「再ブレイク」ではあるのだが、それを陰で支えたマネージャーってどんな人? ルーさんにも見抜かれたのだが、私の興味はそちらにあった。やはり前職の性【ルビ=さが】なのかもしれない。若いマネージャーの直言を真摯に受け入れたルーさんも素晴らしい。きっとこれからも二人三脚、いや「二人スリー脚」で活躍し続けていくことだろう。それにしても、ルー語たっぷりの新刊本、読むのに骨が折れたこと……。

ルー大柴(るー・おおしば)。本名、大柴亨。一九五四年一月一四日、東京都新宿区富久町生まれ。立教高等学校(現立教新座高等学校)卒業。高校卒業後、ヨーロッパを放浪。帰国後、三橋達也の付き人を経て、勝新太郎の「勝アカデミー」に、第一期生として入校。ここで岸田森、小堺一機と出会う。ドラマ『俺たちの朝』で俳優としてデビュー。この時期、関根勤とも知り合う。モデル時代の写真が小堺・関根のラジオ番組で話題になり、その独特のキャラクターから人気を得ることになる。「アデランス」のCM「トゥギャザーしようぜ」など、英語混じりの「ルー語」が評判となる。一九九二年、第二九回ゴールデン・アロー賞芸能新人賞受賞。また『浅草橋ヤング洋品店』の司会、『笑っていいとも!』のレギュラーなどテレビでも活躍。その後、主に舞台で活躍していたが、二〇〇七年から、ブログが女子高生の話題となり、またNHK「みんなのうた」で歌った「MOTTAINAI」がヒットするなど、再ブレークすることとなった。二〇〇八年二月、現在の所属事務所である株式会社Carino(カリーノ)へ移籍。二〇〇八年三月、再ブレークの経緯を赤裸々に綴った『男の落とし前――奇跡の大復活の真実』(講談社)が出版された。

木村政雄編集長 Special Interview

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