丸山さんが沖縄を選んだ一番の理由は、東京からの距離感だった。東京から遠いという意味で候補地は沖縄以外にも札幌と福岡を考えたが、結局沖縄に決めたのは、音楽的に、また様々な面でも、そのあまりの環境のよさ。それまでも何度か沖縄を訪れたことはあったが、仕事の拠点として見たとき、沖縄が最もよいという結論だった。
「東京で腰を落ち着けると、あまりに環境が変わらなさすぎると思いました。それに昨日までソニーという大きな会社の名刺を持っていたのに、247musicという小さな会社の名刺に変わると、相手の対応も変わるわけです。自分が相手にとってメリットの少ない、利用価値の少ない人間になってしまうのがわかるわけです。それは寂しいものがありますよ。沖縄に来たのは、そうした気分を味わいたくないというのが一番の理由です。社会ってそういうものですから、相手を非難することはできません。でも自分自身は変わっていないつもりだし、それなりに傷つくわけです。東京だと、凛として真っすぐやれる自信がなかったというのが正直なところですね」。
丸山さんが沖縄に移り住んだ当時は、モンゴル800の大ブレイク前夜、HYなども東京の音楽業界で注目を集めている時期だった。しかし、そうしたバンドが目当てではなかった。なにしろ、そうした音楽状況もまったく知らないままに、沖縄にやってきたというのだ。
「沖縄の音楽はネーネーズと(照屋)林賢さんくらいしか知りませんでした。でも、来てみたらモンゴル800やHYが売れていて、東京から業界の人たちが大勢押しかけて、すごい状況になっているわけです。そうした部分ではかなわないから、違うタイプのアーティストを探しました。
そんな中で出会ったのが、首里フジコとピッピ隊音楽部です。首里フジコは、南国ドロップスというバンドにいて、その歌いっぷりに潔さを感じました。それと彼女がやってる女体体操というパフォーマンスユニットも観ました。これは僕らの世代だと日劇ミュージックホールっぽい、ちょっとエロな感じ。日劇は有名な演出家がやってたんですけど、フジコはそれを観たわけではなくて、まったくのオリジナル。自分で考えて演出してました。日劇と違って、エロいけどエロくない。表現者としてスゴイ人だと思いました。彼女とCDを作る時、どういう音楽になるのか想像がつきませんでした。
同じ時期に見たピッピ隊音楽部は、小さな店で、おもちゃの楽器を使って大まじめに演奏していました。それがPA(音響設備)なしの生演奏だったんです。僕にはPAなしでライブをやるという考え方がなかったから、音楽ってこうやってできるものなんだって感動しました。表現は未熟なんですけど、曲は良くて、作品はすごかった。彼女たちはフジコとは対極にいたんですよね。沖縄に来てすぐに、両極端のパフォーマンスを一度に知ることができたのは大きかったですね」。
丸山茂雄
247music代表取締役
沖縄から発信する意味
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