人はありとあらゆる善悪を経験して流転しながら転生するので、かつてどこかの時代で罪人であったからといっても、ちっとも不思議ではない。そういえば彼女は囚人服と同じオレンジ色の様々な衣服などを愛用している。また学生時代はいつも黄色の服ばっかり着ていたので、友だちから「イエロー」というニックネームで呼ばれていたそうだが、「イエロー」も囚人服のオレンジ色を連想させるではないか。またぼくがこのような場所に反発するのもそれなりの理由があるのかもしれないが、妻が独房の中に置かれている小道具などを手に取って調べている姿を見ていると、どうも懐かしい感情に動かされているようにしか見えないのだった。
村内を四時間も歩いたのでかなり疲れた。早々に犬山温泉の旅館「八勝閣みづのを」に入ることにした。玄関まで出迎えてくれていた女将さんは、ぼくの顔を見るなりタカラヅカの話を持ち掛けてこられ、ぼくの作った一〇点のポスターを縮小したチラシのコレクションまで見せられた。このようにタカラヅカ・ファンは全国津々浦々に散らばっているのである。またすでに『温泉主義』の本も買ってもらっていることにも驚いた。ぼくの部屋の真ん前には満々と水を湛えた木曽川が悠然と流れており、対岸の高台には犬山城が眺められ、日暮れとともに白くライトアップされて、神秘的に光っていた。
翌朝、再び「明治村」に行くことになった。というのも実は前日「明治村」内で映画の撮影が行なわれていて、側を通りがかった時、スタッフの一人が声を掛けてきた。彼の話によると、この映画は『劍岳 点の記』といって、主演が浅野忠信だと教えてくれた。浅野さんといえば、つい先週出たばかりの河出書房新社の『横尾忠則―画境の本懐(KAWADE道の手帖)』で、まだ会ったことのない浅野さんがぼくのことについて語ってくれていて、浅野さんのお父さんが若い頃ぼくのファンで、浅野さんが生まれた時ぼくの名前の一字「忠」をとって「忠信」にされたと、そんな話を浅野さんはこの本の中で語ってくれているのだった。そこでぼくは「近いうちに会えるといいですね」と書いた葉書をまだ面識もない浅野さんに送ったばかりだった。それだけにぼくはこのシンクロニシティにびっくりしてしまったのである。それがどうしてこんなに早く、またお互いにめったに来そうもない地方の「明治村」で会うことになろうとは、まさに奇遇としかいいようがないじゃないですか。浅野さんもぜひ会いたいとおっしゃっていると撮影のスタッフからあとで伝言があったので、ちょうど休憩時間を見計らって撮影現場の「北里研究所本館・医学館」に伺ったのである。
浅野さんの印象は実にさわやかな知的な感性の持主と感じた。それともうひとつ驚いたのは、いつも成城のそば屋で会う近所の小沢征悦さんもこの映画に出演していたことだった。ぼくは昨日スタッフの人から小沢さんもいることを聞いていたので、サプライズとして彼には内緒にしてもらうようにしていた。だから彼はぼくの顔を見るなり、普段でも大きい眼をさらに大きくして驚いた。またこの映画の木村大作監督にも紹介された。監督とはやはりそば屋でお会いしていたそうだが、ぼくは気づかなかった。大変失礼いたしました。そして奥様や息子さんが出演しておられるというので見学に来ておられた藤原正彦氏と夫人にも会うことができた。またデビュー作『御法度』のポスターを作って以来一○年振りで松田龍平さんにも会って、思わぬ華やかな会合のひと時を愉しむことができた。まさか「明治村」で明治時代の映画を撮っているのが浅野忠信さんであったとは、ただの偶然とは思えないのである。二人の間でこれから何かが始まるかな、という予感がしないでもない。
「明治村」を後に次は「リトルワールド」を訪ねることになった。ここには世界中の様々な少数民族の住居などが集合した「明治村」の世界版といえばいいのだろうか。「明治村」のスケールに比べると小規模だけれど、各国の民族衣装のコスプレなどが楽しめるせいもあって、若い女性に人気があるように思えた。しかしひとつついていないことがあった。それはこの日に限って連日公演しているサーカスが休演日だったことだ。以前愛媛の松山の道後温泉に行った日も木下サーカスの休演日で観ることができなかったからだ。だからMさんは、木下サーカスのやっている日を調べて、それに合わせて、その近辺の温泉に行きましょうというアイデアを出した。銭湯シリーズのぼくの作品が温泉シリーズに発展し、それにY字路が加わったかと思うと、今後のシリーズは全国お国自慢みたいな、なんだかわけのわからないシリーズに発展する予感がするけれど、さあやってみないと分かりませんね。
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愛知県 犬山温泉
横尾忠則(よこお・ただのり)1936年兵庫県生まれ。美術家。2006年、パリのカルティエ現代美術財団で個展を開催し高い評価を得た。「文学界」(07年九月号、08年1月号、2月号)に小説「ぶるうらんど」を発表。3月より以下のような個展が開催される。スカイ・ザ・バスハウスで「横尾忠則
ふたつめの壺」(3月7日~4月5日)。西村画廊で「横尾忠則 温泉主義」(3月11日~4月12日)。世田谷美術館(4月19日~6月15日)と兵庫県
立美術館(6月28日~8月24日)で「横尾忠則冒険王」。また、2月に本連載をまとめた『温泉主義』が新潮社から刊行された。http://www.tadanoriyokoo.com
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