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井筒和幸

流されない

「家出、そして高校卒業」

井筒― それで渋谷に来たんですね。当時、渋谷にはちょうど寺山修司さんの「天井桟敷」っていう劇団があったんです。寺山さんには当時の僕らが内緒で知ってた『書を捨てよ、町へ出よう』という本や映画があって、家のなかで、学校で、書物ばっかりにふけってるよりは町に出るんだと。そういうアジテーションをしている人が東京に劇作家でいるんだから、その思考を学びに行きたい。劇団に入るつもりはない。べつに芸人になるつもりはない。だったら寺山に会うしかないんじゃないか……簡単な理由ですよね。
木村― なるほど、なるほど。それで会えたんですか。
井筒― で、待ってたんですよ。渋谷の並木橋にあったベニヤ板に囲まれたようなちっちゃなビルの地下。そこに行って、朝から待ってたんですよ。
木村― そしたら?
井筒― 待てど暮らせど来ない。劇団員は、「ちょっと待ってたら来ると思うよ。まあゆっくり待ちな。時間はゆっくりあるから」って、なかなかいい人でね(笑)。
  午後になっても来なくて、どこで寝たかはちょっと忘れましたけども、そのへんのまあ屋根のあるようなところですね。それもなかなか寝れなくて、ぶらぶらしてたんですよね。それで朝、もう一回行ったんです。そしたら、うちの父と担任が来たんですよ。
木村― へえ、東京まで?
井筒― そうなんです。仲間たちが白状したんですね、問い詰められてね。それで居場所を調べたんでしょうね。
木村― 学校を休んで行ったわけですか。
井筒― もちろん。全否定でした(笑)。
木村― 授業を休んで?
井筒― 授業を休むんじゃないですよ、もう学校には行かないの。つまり、僕は話をしにいくと何日かかるか分からない、だから当面、気が落ちつくまではもう学業もへったくれもない。もう無意味で全否定だというムードだったんですね。自分のいままでの一七歳までを断ち切るんだ、と。そして明日なき明日を探すんだと。
木村― そのときは寺山さんに会えずに、お父さんと担任と一緒に帰ったんですね。
井筒― そうそう。僕は会いたかったんだけど、まあしようがない。うちの父も「まあ帰ってゆっくり考えればいい。おまえの考えもいろいろあるんだなということを分かった」というふうな会話でした。やさしかったですよね。で、そのまま、ご飯食べて帰ったんかな。
木村― その後、寺山さんにはどこかで会われたんですか。
井筒― それから二、三年して、大阪に演劇をもってやってきたときに会って。会えなかったことを話したら、寺山さんも覚えててくれました。
木村― いちおう寺山さんの耳には入っていたわけですね。
井筒― そうでしょうね、名前と住所を書いて帰りましたからね。手紙は来ませんでしたけど。まあそんなことはざらだったんでしょうね、家出請負人みたいなことを世の中じゅうに言うてた人ですからね。
木村― そのときは帰ったでしょう。で、学校はちゃんと卒業したんですか。
井筒― いやいや、帰ったものの、先生も親も自由にせい言うから、僕はしばらく学校へ行かなかったんです。だから、三年生というのはほとんど行ってないんですよ。
木村― それでもちゃんと卒業はできたわけですね。
井筒― そうなんですね。僕はテストはいっさい受けてないんですよ、それでも、評価票はちゃんと八〇点ついてましたね、たいしたものですよね。
木村― それはたいしたものです。
井筒― まあ追い出したかったのか、あるいはそういう時代だったのか……。ともかく人を点数で区分けしていくということはいっさいなかったですね。
木村― いい学校ですね。
井筒― いい学校でしたね。そういう勉学についての校風の自由さみたいなものを持ってたんですね。「おまえは六九点だからまあ関学かな」とか、「おまえ、同志社は無理かな」とか、そんなこと誰も言ってなかったですね。
木村― そうですね。とうてい受かるはずがない人間でも京大を受けたりしてましたよね。
井筒― してました。もう隣のクラスにもいましたよね、トンガリが。東大とか京大とか、平気で願書を書いてもらってましたからね、「いきたい」と言えば。いまはそんなこと、もうとてもじゃないけど許されない。「おまえ、なに言うの」って(笑)。
木村― そうですよね。
井筒― そういうよき時代の最後ですね、教育が非常にまともだった。非常にしっかりしてた時代ですね。

木村政雄編集長 Special Interview

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