木村― 高校を出た頃は、いずれは映画監督になりたいと思ってたんですか。
井筒― いや、そのときは正直言うとね、すぐには思わなかったんですね。
高校を出たのは七一年三月ですから、学生運動も崩壊してたし、連合赤軍はめちゃめちゃやってたし、そういうことが分かって、革命も幻想ということで……。ただ、高校を出て自由になると、先輩の持っているミリで撮ってましたね。
当時は、ミニコミペーパーをつくるのを手伝ったり、それからキャバレーの照明とかいろんなバイトをしてました。それはいろんな人と出会うことがおもしろかったからですね、『パッチギ!』の主人公アンソンという青年にほんとうに逢うのはその後です。
木村― もうそのときは家を出てたわけですか。
井筒― 出たっていうか、どっか行っては、まあときどき帰るということでしたね。二、三日どこかほっつき歩いては帰ってくる、そういうことを繰り返してましたね。
その頃に『仁義なき戦い』を見てるんですよね。誰かのためになにかをしたいという心情が、当時の青春の燃やし方みたいな空気感とまったく一致してましたよね。もう道頓堀東映に行きまくってましたよ。そのときオールナイトで、舞台挨拶を見たりしてるんですね。やくざ六割、ホステス三割、あとの一割は僕らみたいなやつ。当時はだいたいこういう観客構成ですよね。盛り上がり方が違ってました。まず、白いスーツで北大路欣也が出てきて、ウワァ~。それで菅原文太も出てきて、ミカンやあられとかがぱんぱん飛ぶんですよ。それで静まったと思ったら、監督の深作欣二が出てきたんですよね。普通はスターじゃないから「うぅ……」てなものですよね。ところがその客たちはね、拍手を倍増させましたね。やっぱり映画っていうのは、「この人がつくってるんだ」ということですね。
それで、僕も、町でミリ回してるのもいいけども、やっぱりこういう観客がウワァってわくものをつくるんだと改めて思いましたね。その瞬間に思ったわけじゃないですけども。だったら、自分たちでつくろうという気運になったかな……そういうことでしょうな。それがまあ七四年の終わり、半ばぐらいだったかな。それからいろいろ仲間を募って、あのピンク映画(『行く行くマイトガイ 性春の悶々』七五年)をつくり出したんですね。まあぷらぷらしてるわりにはいろんな人と接触し、いろんなものを見、そして片隅のことからメジャーのことまで、いろんなことを両方知ったというか、これはやっぱり、書を捨てて町へ出たからだろうと。
木村― それがデビュー作ですね。
井筒― そう、勝手にデビューしただけ。当時、大阪・福島にあった吉本キネマでオヤジに頼んでかけてもらって試写したりしたんですけどね、なんか画面がただ並んでるだけで、カット割のようなことをやっているところもあるけど、ばらばらだし、まあでもちょっとほろりとさせたりするような瞬間もあるけど、それはつくってきた人間だけが思ってることだろうと。なんとも下手くそな映画だなと。もう一回反省し直して、一からなにかをしていかないとだめだと。そのときに、シナリオを書いてみようと思ったんですね。それで奈良の家で、毎夜毎夜、三ヵ月ぐらいで書いたのが「ガキの愉しみ」という不良たちの群像劇の原稿だったんですね。
しばらくはこの原稿をほったらかしにしておいたんですけど、京都には太秦という東映の映画撮影所があるじゃないか、東映の『仁義なき戦い』を見てきたんじゃないのか。じゃあ一回持っていってやれというので、持っていったんですよ、ひとりで、なんのアポイントもなしに。それで、守衛から「帰れ」と言われたけど。ともかく通されてたんですけど、プロデューサーに「こんなややこしいものは映画にはならないんだ」って、ポーンと突っ返されたんですわ。それで僕は、もう歩きましたね、京都駅まで。
木村― 太秦から? だいぶありますよ。
井筒― 一時間ぐらいかかった。行くときは勇んでバスで行ったんですけどね、帰りはバスに乗る気もしなくて、「あの言い方はなんだ」と。それがほんとにきっかけになったんです。「ぜったいいつかあいつに見せてやるんだ」と思ったんですね。その原稿は、ずぅっと押し入れに入れたままやったんですが、それが『ガキ帝国』につながっていくんですけどね。
木村― でも、考えたらその突っ返した人が恩人かもしれない、モチベーション上げてくれたんですから。
井筒― うーん、恩人かも分からないですね。
木村― この雑誌を読んでらっしゃるのは主に五〇代以上の方が多いのですが、その年代の方たちがもう一回自分の心に火をつけて頑張れるには、どうしたらいいんですかね。
井筒― 僕は、やっぱりちょっと前にやれなかったことをもう一回やるということだと思うんですね。なぜ、あのときに、どうしてできなかったのかということを一回検証してみる。これが、五〇歳からいちばん輝きだすときだと思うんですね、じつは。
自分が置き忘れてきた、ほんとに、いまの話じゃないけども押し入れにしまい込んできた、あのときに書いた原稿用紙、それをもう一回やってみる。やれないで終わってしまっているならばですよ。それがなにもないという人は、優雅にぷらぷらしてていいですよ。
木村― そうですね。
井筒― 逆にいうとあるんですよね。おざなりにしてきたことがね。そうやって人間っていうのは流されて、流転を重ねて生きてきたわけですから。
木村― はい、ありますよね。
井筒― 僕だって次の映画を撮るにしろ、流してしまってできなかったことの検証がやっぱり作品の動機にもなってますよ。これからの動機にもなりますよね。
木村― わかりました。いい話をおうかがいできました。
撮影=瀬戸正人、構成=森國次郎
後記
初めての出会いから、もう三〇年以上になるのだろうか。それほど頻繁に会っているわけでもないのだが、会う都度に、エネルギーを与えてもらっている気がする。今日は出会う前の話を中心に聞いてみた。井筒青年のルーツは奈辺にありやと。
対談のあと、二人で行った寿司屋を後にしたのは、四時間も経った後だった。歳を重ねる毎に、いい顔になっていく井筒さん、これからも流されないで、活躍してほしい。(木村)
![[ファイブエル] 団塊世代のエンターテイメント誌 Entertainment Premium Magazine](/img/header_title_in.gif)



![[ファイブエル]バックナンバー](/img/side_backnumber.gif)