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有馬温泉

 有馬は日本書紀に記述されているなど歴史が古く、僧行基が改めて有馬に温泉を開いて以来、天平、平安の時代と繁栄し、清少納言は「枕草子」に有馬の湯に触れているとか。その後、地震とか大火で有馬は荒れ果ててしまったが、仁西上人によって復興したという。歴史に興味ない人(ぼくがそうだ)のために、かいつまんで言うが、有馬が最も恩恵をこうむったのは豊臣秀吉だそうな。
 平成7年の阪神淡路大震災の際、極楽寺の庫裏下から秀吉が愛用していた湯殿の跡が発見されて、われわれもそれを拝見したのだった。いずれにしても温泉と地震は因果関係がある。なんでも有馬の湯こそ、江戸時代の医師によれば「天下第一霊泉」と讃えている。ちなみに有馬は「日本三名湯」だけではなく、「日本三古湯」でも道後、白浜と並んで名湯に数えられている。別に有馬にケチをつけるわけではないが、日本全国には、「われこそ第一名泉なり」という温泉がじつに多い。誰が言ったかが問題で、ぼくが言ったって誰も信用しないに決まっている。この連載がいつまで続くか知らないが、そのうち「横尾版第一名泉」をいずれ発表したい。
 草津温泉にも谷崎潤一郎が訪れていたが、ここ有馬にも頻繁に来ていたそうだ。やはり文士の言葉は重い。画家でも横山大観みたいなおエライ先生が言わなきゃありがたみがない。現代美術家のぼくなんかが100人束になって言えば別だろうけれど、たった一人で主張したってなんの効力もない。
 一通りぼやいた後、旅館に預けていたカバンを持ってタクシーで六甲山へ。目的は六甲山ホテルでの昼食と六甲山牧場でソフトクリームを食べることだった。その昔、ふるさと切手のデザインを依頼されて六甲山牧場に取材に来た時に食べたソフトクリームの味が忘れられなかったのである。六甲山から見る夜景は100万ドルの価値があるというが、昼間はガスで曇っていて白い靄がかかって幻のようにしか見えなかった。
 最後になったが、なんというシンクロニシティだろう! 旅館の部屋の担当仲居さんは山口県錦町出身の人を両親に持つという女性であった。それがどうしたのだと言われるだろう。ぼくは5年間この日本のチベットとも、陸の孤島とも(失礼)呼ばれるほど、小さい小さい錦町の観光ポスターを制作しており、何度も訪れた土地で、深い縁のある町である。彼女も何度もこの町を訪れ、町の細部にわたる話題に思わず花が咲いたのだった。この広い日本(?)はじつは狭い狭い日本だったのである。
 こうした予期せぬ人との出会いは、一種の旅の醍醐味であると同時に、こんな小さな出来事が人の心を豊かにしてくれるものだ。まだ三回目の温泉巡礼旅行だが、この先何が手ぐすねを引いて待ちかまえているかと思うと、まるで冒険に旅立つような気分だ。絵もそうだが探し求めるものではなく、未知の何かに導かれるものだと思う。そのためには抵抗は禁物である。自我を捨てて得るものの大きさと重要性、必然性を考えると。旅そのものが人生のように見えてくる。人生が旅であるように、旅もまた人生であると思う。
 さあ次回は、近江俊郎の歌「湯の町エレジー」の舞台になった伊豆の山々の泉境に出掛けるとしよう。

横尾忠則(よこお・ただのり)1936年生まれ。グラフィックデザイナーとして60年代から国際的な評価を受け、80年代の「画家宣言」以降は、人間の記憶や感情をテーマにした絵画活動を中心に、多彩な創作活動を続けている。現在、2006年3月2日から、カルティエ現代美術財団で開催される個展のための制作に多忙な日々を送っている。12月末には東方出版より「Y字路」の作品集が刊行される。

横尾忠則の温泉主義

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