「ミス・ワールド」の予選、「ミス・イン グランド」で一〇号サイズの女性が準優勝に選ばれ、波紋を呼んでいる。まだ一七歳、名前はクロエ・マーシャルさん。身長一七七.八センチ、体重七九.八キロ、バスト九六.五センチのDDカップの堂々たる体格である。
他の候補が八?一〇号サイズなのに比べ、一六号サイズの彼女が選ばれたことに、インパクトがあったということであろう。写真を見ると、なるほど顔は美形なのだが、特大サイズのド迫力ボディにはつい目を奪われてしまう。
今までのミス・コンテスト受賞者の系譜を辿ってみて、やや違和感を覚えていた私なのだが、彼女のコメントを見て合点がいった。
「私は今の自分の身体が好き。みんなは私に『もっとやせたい』と言わせたいみたいだけど、私は今の自分を変えようとは全く思わない」
一七歳にしてこの主張、彼女は現在の審美基準に対してアンチテーゼを投げかけているのである。
本人も立派なら、選んだ方も素晴らしい。近年、ヨーロッパを中心に、モデルの「やせすぎ」問題が論議されているという背景もあったのではあろうが、国の代表ではない「準ミス」という絶妙の地位に置いたという所に、成熟した国の智恵を感じる。
「今年は、従来通りの基準で代表を選びましたが、ちゃんと問題意識は持っていますよ」というメッセージは世界に向けて発信されたわけである。美人コンテストや美人リストに関する情報が、人々の記憶に強い影響を及ぼすことを考えれば、これを機に世の中の美人観が少しは変わっていくということになるのかもしれない。
ふり返ってみれば、我々の美人観も変遷を重ねてきている。平安時代には、きめの細かい色白の肌、小太りで、顔形はしもぶくれ気味の丸顔、引目と呼ばれる細い目が尊ばれたというし、当時の女性の成人年齢が一二歳程度ということもあって、大きな胸はむしろ中年的な象徴であったという。江戸時代は、色白できめ細かい肌、細面で小ぶりな口、富士額に涼しい目元、鼻筋が通り、豊かな黒髪であることが美人の条件とされた。
戦後の日本では、西洋の影響を受けて、白人に近い顔立ちが美人とされたり、健康的と考えられた小麦色の肌が美しいと思われて、一部で日焼などが流行するなどした。欧米の文化を吸収していく過程の中で、美意識までもが変容を遂げたということであろう。
だが今、そのスタンダードが変わろうとしている。そろそろ我々も独自の美人観を持つべきなのではないだろうか。いや、むしろ、価値感の多様化が進んだ今の時代、美人に対する基準にも個人差があって当然だと思うべきなのではないか。そもそもあまたいる女性をたった一つの基準に押し込めようという所に矛盾があるのである。

これだけで家庭の円満間違いなしである。まさか「小野小町」からクレームがつくわけでもないのだから。
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