ようこそ ゲストさん [ログイン]


トップページ > バックナンバー > 木村政雄編集長 Special Interview > 

  • 印刷
  • 大
  • 中
  • 小

加山雄三

永遠の若大将

(かやま・ゆうぞう)1937年、映画スター上原謙・小桜葉子の長男として神奈川県横浜市に生まれる。慶応大学を卒業後、1960年に東宝映画「男対男」で俳優としてデビュー。61年の「大学の若大将」から18作の「若大将」シリーズに主演。歌手としては、1961年に「夜の太陽」でデビュー。65年の「君といつまでも」は300万枚を超える大ヒットとなり、66年の日本レコード大賞特別賞を受賞した。また1996年の初個展(「すべて愛なんだ」)以来、画家として多くの海景画を描き、98年には西伊豆に「加山雄三ミュージアム」がオープンするなど、多彩な活動を続けている。

俳優で歌手、マリンスポーツにスキー、絵も描けて、しかもハンサム。そんな若大将・加山雄三は、団塊の世代にとって「希望の星」。スター街道を歩き続けてきた若大将も68歳。
過去を振り返り、音楽だけでなく、子育てや家庭のことも語ってくれた。
「見た目の商売だから」と、太りすぎを気にしながら……

木村― 芸能生活45周年ということで、昨年はニューヨークのカーネギーホールでコンサートをなさったそうですが、なぜカーネギーホールだったんですか?

加山― だいぶ前から「いっぺんやってみようよ」という話はあったんですけど、「僕は俳優で、歌手じゃないですから」と断っていたんです。でも45周年の目玉ということでやることになったんです。
 武道館という話もあったんですけど、あそこは椅子がプラスティックで冷たいんですよ。僕のファンは団塊の世代、50代が多いんで、つらいんですね(笑)。

木村― 外国でやるわけですから、いろいろ問題もあったでしょうね

加山― まず、どうやってホールを満杯にするかが問題でしたね。

木村― あそこは何人ぐらい入るんですか?

加山― 2800人ですけど、ふつうは2000人ぐらい入ればいいと言われたんです。でも「満杯にしたいなあ」と思いましてね。みんなで手分けしてチケット販売に奔走した結果、満杯になったんです。
 もう一つの問題だった司会は、自分で英語でやったんですね。みんな喜んでくれて、良かったです。「やってやれないことはない」と思いました。

木村― やはり、終わってみると、やってみてよかったと思われたでしょうね。

加山― 最初は「68歳にもなって、いまさらカーネギーホールでもないだろう」とも思ったんですけど、でも大成功で、やってよかったですね。とくにオーディエンスが素晴らしかったですね。

木村― 乗りが違いますか。

加山― ぜんぜん違いますね。向こうで暮らしてる人たちは、いいものに対する評価が素直なんですね。とくにカーネギーホールのお客様の反応は違いますね。まるで自分がカラヤンにでもなったようで(笑)。

木村― 45周年ということで、日本ではオールリクエストのコンサートツアーをなさっているそうですけど、なんでオールリクエストにしようと思われたんですか?

加山― まあ、演出家の意向もあるんですけど、いつも同じ曲じゃなくて、お客様にあまり聴いたことのない曲をお聴かせするには、リクエストしかないんですね。でも時々、「ウソだろ、こんな曲あったかよ」と、何度かコケましたよ(笑)。

木村― 何曲ぐらいお作りになったんですか。

加山― 484曲ですね。でもレコーディングされているのは160曲ぐらいです。オールリクエストのために100曲のリストを準備してあるんですけど、それはかなりキツイですよ。毎回、リハーサルなんかも含めると50曲ほど歌わなければならないわけですからね。

木村政雄編集長 Special Interview

一覧(35件)

ファイブエルストア

[ファイブエル]バックナンバー