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NOBU 松久信幸

世界の舌を魅了する日本人シェフ

逆境のおかげで現在がある

――アメリカはもちろん、いまでは世界の主要都市にも支店を出しておられる。大変な成功と言えると思いますが、秘訣は何ですか?
「私の考える成功のカテゴリーは、世間一般と少し違うかもしれません。富や名声が成功なのではなく、自分の夢に忠実で、それを貫き通せるかどうかです。「世界を変えてやる!」などという大言壮語ではなく、身近な人々、たとえば家族や友人、同僚や近所の人を幸せにしてゆく。そういった生き方ができれば、たとえ世間から評価されなくとも、成功のカテゴリーに入ると考えています。富や名声というのは、たぶんその後からついてくるものです。最初にそれをゴールにしてしまうと、手に入らないものなのかもしれません」

(上)待ち合わせや食後に優雅にくつろげるバー。朝四時まで営業。(中)30種類以上の葉巻がストックされていて、1本でもオーダーができる。米国前大統領ビル・クリントン、俳優のニコラス・ケージなど有名人のストックもずらり。(下)ホタテのセビッチェ。「料理を出す時、皿に指紋が残っていたら料理は台なし」というオーナーが自らデザインしている指紋が残らない皿もなかなかだ。――なるほど。料理人になろうと決めたのは、かなり早かったのですか?
「そうです。どんな人にも〝天職〟との運命の出会いがあります。私の場合は寿司職人。小さい頃、兄が近所の寿司屋さんに連れていってくれた時です。てきぱきと仕事をこなす板前さんの仕事っぷりに魅せられて、寿司職人になると決めました。もう一つの夢が海外に出ることでした。ですから高校卒業後、新宿二丁目の寿司屋で働いていた時のことですが、ペルーに店を出さないかという話がきて、大喜びで行きました。店は軌道にのったのですが、共同経営者との間に意見の食い違いが出てきて、なかなか自分の考える経営ができない。それで一時帰国しました。やはり自分の夢を実現するには、自分の店を持つしかなかった。意を決してアラスカのアンカレッジに飛び、念願の独立・開業を果たした。ところが、待っていたのは奈落の底」

――何が起ったのですか?
「苦労してようやく開店したアラスカの店が、開業50日目に漏電による火災で全焼。29歳の時でした。妻と幼い娘3人を抱えたまま、手元に残ったのは多額の借金だけです。何度も死のうかと考えました。でも可愛い娘や献身的に私を支えてくれている妻の顔を見ると、そんな無責任なことはできません。ですから家族を日本に残したまま、今度は単身で渡米し、ロサンゼルスの寿司屋で9年間働いて資金を作り、87年にビバリーヒルズに〈MATSUHISA〉を開業しました」

――ハリウッドスターたちから絶大な支持を得て、「ザガット・サーベイ」のレストラン人気投票では総合部門で不動の一位を獲得している店ですね。常連客だった俳優のロバート・デ・ニーロから共同経営のオファーがあったそうですね?
「その時は時期尚早だと断りましたが、再度オファーがあったので92年にニューヨークに開店しました」

――多額の借金から、これほどの巻き返しができた理由は何だと思いますか?
「アラスカのおかげです。人間、失うものがなくなると強いですよ。とにかくあの時から、焦りが消え、「今日どう生きるか」それだけに集中してきました。明日を思いわずらう時間や余裕なんてなくなってしまうのです」

――世界の人に評価される味は、どうやって生まれたのでしょう?
「日本の寿司職人という伝統の背骨があったからだと思いますね。この背骨があれば、どの国に行っても、アレンジの仕方がわかる。たとえば、ペルー。あの国ではセビッチェといって魚介類をなんでもマリネにしてしまうのです。でもそうしたら海老もイカも白身の魚もすべて同じ味になってしまう。ところが日本の寿司は、素材の味を活かす料理ですから、素材の味を活かすマリネを思いつくわけです。で、それを出すと地元の人にも人気が出る。これは料理に限ったことではありません。日本の土壌には、何か深く極めると、どんな世界にも打って出られる伝統の背骨があるということです。これが2000年もの間、連綿と続いてきた歴史のある国の強みですね」

――日本に生まれたことに感謝ですね。

取材・文=大高美貴/撮影=大野宏幸

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