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村田兆治

いまも140キロを投げる元ロッテのエース

1949年、広島県生まれ。68年に福山電波工(現近大福山高)からドラフト一位でプロ野球の東京オリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)に入団。左足を高々と上げる独特の「マサカリ投法」からの速球とフォークボールを武器に活躍。81年には最多勝を獲得したが、翌82年に右ひじを故障し、米国で手術を受けた。85年には開幕戦から11連勝し、奇跡の復活。日曜日のたびに登板することから、「サンデー兆治」の名で人気を博した。90年、40歳で10勝を挙げて引退。75、76、89年に最優秀防御率。現役23年間の通算成績は215勝177敗33セーブ。防御率3.24。引退後はダイエー(現ソフトバンク)の投手コーチを務める。05年には野球殿堂入りした。

「140キロの球を実際に投げれば、みんな驚く。子供たちに、プロ野球はこんなにすごいということを見せたい」

 「人生先発完投」。名刺に書かれた6文字がいきなり目に飛び込んできた。実力優先のプロ野球では、23年もの間現役にとどまり続けるのは容易なことではない。しかも目標はつねに完投。その時々の己の力を把握し、年齢とともに衰えていく体力を克服する気概と努力なくして、なしうることではない。「先発完投」という現役時代に自らに課した高い目標は、引退した今、人生の目標となった。
 マサカリ投法で鳴らした村田さんは今56歳。しかし、血色はいいし、体型も現役時代とちっとも変わっていない。一球に賭けていた若いころの信念と情熱が、今も衰えていない証かもしれない。信念とは「夢」をもつこと、情熱はその夢を実現しようという熱い気持ち。気持ちの持ちようひとつで、人間はそう簡単に老け込むものではないというお手本だ。
 彼が見出した新たな信念と情熱の対象、それは離島の少年少女たちによる「マサカリカップ離島甲子園大会」。1990年の引退後、村田さんは北海道や九州など全国各地の離島の子供たちを対象に野球教室などを開き、野球の魅力、楽しさなどを教えてきた。すでに、利尻島、小笠原諸島、種子島など全国50以上の島に渡った。昨年はプロ野球OBが参加したチーム「対馬まさかりドリームス」を長崎県対馬市で発足させ、同市の地元チームと試合をしたり、野球教室を開催したりしている。
 「離島の子供たちに夢と希望を与えたい」という思いから始めたこの活動だが、練習の成果を発揮できる試合の場を作れたら、という新たなアイディアを育むことになった。それが「マサカリカップ離島甲子園大会」だ。

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