この活動に積極的に取り組むことになったきっかけは、引退直後に北海道・中標津から届いた一通の手紙だった。「プロ野球でがんばってきた村田さんの話を子供たちに聞かせたい」。酪農を営む親からのものだった。村の子供たちにプロ野球の苦労話や経験談を話せばきっと喜んでくれるだろうと、軽い気持ちで引き受けた。しかし現地へ行って、親たちの働きぶりを見て、考えが変わった。
「酪農の仕事には休みがない。一日の休みもなく働く人たちの姿を目の当たりにした。プロ野球の世界も厳しいけれど、休む間のない酪農家の人たちの苦労とは比較にならない、と実感した。自分には到底そのようなきつい仕事はできない。だったら、忙しい親に代わって、自分が子供たちの役に立とうと思ってね」。
物見遊山の全国めぐりではなく、真剣に子供たちに野球を指導していこうと決心した。だとしたら、いちばん効果的な方法は何か。まず〝本物〟を子供たちに見せよう、140キロの速球を見せてあげよう。「140キロの球を実際に投げれば、みんな驚く。プロ野球を自分の目で見たことのない村の子供たちに、プロ野球というのはこんなにすごいんだ、とまず見せたかった。口で言うより興味を引くし、説得力がある」。
140キロの球速とは、プロや社会人野球の速球投手なら当たり前だが、高校球児なら世間の注目を集めることは間違いない。村田さんは現役時代は150キロ前後を投げていたが、それは毎日のランニングや投げ込み、厳しい練習を積み重ねて初めて可能なスピードである。しかも、当時は若かった。それに近い球速を維持したいというのだ。大変な挑戦である。しかし、とことんやらなければ気がすまない性格。あくまでも「140キロ」にこだわった。そのためにストレッチや筋力トレーニングで腹筋、背筋を鍛え、速い速度でこぶしを開いたり握ったりのしぐさを一日1000回、自分に課した。
だから今でも140キロの球を投げられる。プロ野球OBによるマスターズリーグでは、往年の名選手が山なりのボールを「投げる」というより「放る」なかで、村田兆治の投球は、ひときわ目を引く。「子供たちや自分と同世代の人たちが、自分のプレーや生き方を見て希望を持ち、勇気を持ってくれればうれしい」。
今はむしろ、〝人のため〟が村田さん自身の原動力になっているが、その根底には、人のぬくもりやありがたさを感じた現役時代の体験があった。
村田兆治
いまも140キロを投げる元ロッテのエース
〝本物〟を子供に見せたい
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