ようこそ ゲストさん [ログイン]


トップページ > バックナンバー > 特集 挑戦する人々 > 

  • 印刷
  • 大
  • 中
  • 小

松岡佑子 翻訳者

世界的ベストセラー『ハリー・ポッター』との出会い。

"喪失" と "出会い"

 しかし、ご主人の死があったからこそ『ハリー・ポッター』に出会えたのだと、松岡さんは言う。死の床で「会社を潰せ」と遺言したご主人は、松岡さんに、もうあと二つのことを言い残していた。それは、ご主人自らが設立した「日本ALS協会」は継がなくていいというものだった。「こんな大変なものを背負う必要はない」と。そして最後に「君は、自由に生きろ」だった。
 ALSとは、〈amyotrophic lateral sclerosis〉筋萎縮性側索硬化症という運動神経が冒される疾患である。ご主人は、ALSの患者さんとの出会いをきっかけに、患者さんの日記を出版し、1996年「日本ALS協会」をも設立。無給のボランティアで14年の間事務局長を続け、次次と患者さんの本を出版した。もともと静山社という出版社は、民衆史の書物を主に出版、初版3000部を刷って1000部売れればよいほうで、また次の本が出せるかもしれないという零細出版社だった。次の本を出すために借金し、また借金を重ねる。そんな中にあっても、ALS協会の仕事をしながら、細々と出版を続ける日々。その道半ばにして、ご主人は倒れたのだった。6カ月後に亡くなるまで、車椅子ででも仕事に向かったという。「どうしてそこまでするの」と問う松岡さんに「人間には死んでもやらなければならない仕事がある」と応えた。文字通り「命を懸けた」仕事の仕方をする人だった。
 「君は、自由に生きろ」。通訳という自分の仕事を思うとおりにやってくれと言われたが、松岡さんはご主人の亡くなる前に、静山社を引き継ぐことを告げる。「亡くならなかったら出版社を引き継ぐこともなかったでしょうし、翻訳をやろうということもなく、ずっと通訳で生きていたでしょう。喪失という状況があったからこそ、『ハリー・ポッター』に出会ったのです」。

―― 生涯に自分の境遇を変える本に出会えるということは、出版人としては大変幸福なことだと思いませんか?
 「ある方から「フランクフルト・ブックフェアーを足を棒にして探したが、こんな本には出会えませんでした。よく出会えましたね」という不思議なファンレター(?)をいただいたこともあります(笑)。でも、ただ捜して出会えるものではないんですね。求める心で常に網を張り、同時に出会いのチャンスを活かすために準備をしておかなくては。それまでに、能力、心の持ち方、出会いをモノにする力をつけておかないと、ただの出会いのままで崩壊してしまうでしょうね。出会いがモノになったからこそ〝出会い〟と呼べるのですから」。

特集 挑戦する人々

一覧(26件)

ファイブエルストア

[ファイブエル]バックナンバー