さて榛名山と榛名湖にタクシーを走らせることになった。
おかしなことに榛名湖に行くというのにタクシーはどんどん山を登っていく。どうやらこの湖は海抜の高い所にあるらしい。その昔、「芸術生活」という雑誌で二年かけて全国の名所旧跡などの観光地を車で廻ったことがあるので、ここにも来たことがあるのかもしれないとMさんに言ったら、「忘れているだけでしょう」と言われた。「忘れていると毎回新鮮に見えていいじゃないですか」とも言われた。確かに新鮮かもしれないけれど、時間もお金も無駄遣いしているような気がして、思わず「もったいないね」と言って笑った。
山の上から見下す榛名湖には思わず感嘆の声を上げた。富士山の頂上部分を横に切ってそのまま湖の上にドスンと置いたような榛名富士。湖面全域に30センチの厚さの氷が張っていて、その上を歩くとサクサクと気持のいい音を立てる。ちょっとしたキリストになった気分だ。だって氷といえども元は水面なんだから。湖面全域が凍結していてその上に雪が積もっているので、まぶしいほどの白一色だ。こんな風景はそうどこででも拝見できるものじゃない。「絵に描いたような風景」という表現があるが、そういえば、日本画家が題材にしそうな風景である。氷の上で観光客が氷に穴を開けてワカサギ釣りの釣糸をたらしている。こういう風景は谷内六郎さんの絵の題材になりそうだとも思った。
湖畔にはお土産屋がズラッと軒を並べているが、通りを歩いている人は一人もいない。空は抜けるように青く、湖は目が痛くなるほど白い。榛名山の樹々は枯れて、お世辞にも美しいとはいえないが、どことなく年季の入った老山という感はある。湖の奥の方にはオレンジ色のどぎつい色で塗られたグロテスクな大きいマンションが存在を主張するように建っているが、この建物がこの大自然の景観を完全にぶち壊していることは事実である。どこに行ってもそうだが、日本の観光地にはこうした商業主義が暴力を振るって、片っ端から自然の美をぶち壊している。自然美を壊して何が観光だといいたくなるが、ぼやきは体によくないので怒りをぐっと飲み込む。湖畔のめし屋でワカサギ定食の昼食を取って、山を降りて帰途に着くことにした。
伊香保温泉
横尾忠則(よこお・ただのり)1936年生まれ。グラフィックデザイナーとして60年代から国際的な評価を受け、80年代の「画家宣言」以降は、人間の記憶や感情をテーマにした絵画活動を中心に、多彩な創作活動を続けている。。1月には東方出版より作品集『横尾忠則Y字路』が刊行された。3月2日からは、パリのカルティエ現代美術財団で個展が開催されている。
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