ようこそ ゲストさん [ログイン]


トップページ > バックナンバー > 横尾忠則の温泉主義 > 

  • 印刷
  • 大
  • 中
  • 小

箱根湯本

 タクシーをチャーターして箱根の名所を箱根駅伝でランナーが走ったコースを逆行しながら山を登って、まず、これも箱根の名所のひとつである富士屋ホテルでお茶を飲むことにした。次に、芦ノ湖に映る逆さ富士の見える場所に行くが、残念ながら雲の中にその雄壮な姿を隠したままだった。湖畔にたたずむ箱根プリンスホテルのレストランの広い窓越しから富士の姿が少しずつ全貌を現わし始めたので、もっとちゃんと見える大涌谷まで行こうということになった。硫黄の強い煙の立つ大涌谷でわれわれが着くのを待ちかまえていたかのように、富士は一瞬頂上を現わしたが、次の瞬間再び雲の中に姿を消してしまったが、われわれは歓声を上げて喜んだ。大湧谷には人がたくさんいたが、そのほとんどが東南アジア系の外国人で白人のグループの姿も沢山あった。
 遠くから腹にズシン、ズシンと響く大きい音が連続的にする。Mさんは「地鳴りみたいですね」と言ったが、本当に地鳴りなら、こんな場所にうっかり立っておれない。ぼくは雷鳴かと思って空をあおいだけれど黒雲もない。妻が「自衛隊の演習でしょう」と言ったが、それが正解だった。煙の立ち込めている場所では黒い温泉タマゴが食べられるが、そこに登るのは、「喘息の方はご遠慮下さい」と書いてあったので、該当者であるぼくは行くのを止めた。山を降り、箱根関所跡を見学することになった。箱根には何度も来ていたが、ここを見学するのは初めてだった。だけどこういう歴史資料館というのは、ぼくはあんまり好きじゃない。歴史の裏側の陰惨な姿が浮き彫りにされていて、館内もなにやら湿ったような臭いがして、誰かが立っているような気がして背筋に悪寒が走るのである。
 最後に17年前に描いたぼくの壁画と再会するべく社会教育センターに行くことになった。すでに町役場から連絡が入っていたのか、建物の入口には係の人が待っておられた。17年前の作品だけれど表面上の変化はなく、管理は完璧であった。長い空白の時間を経て自作と対面するというのはちょっと恥ずかしいような変な気分だった。
 今回は近かったせいか旅行という気分はあんまりなく、なんだかせかせかして忙しく感じた。ぼくはアイスクリームをたくさん食べ過ぎて、体が冷え、そのうえ胃の調子が悪く、せっかくの温泉の効用が台無しでありました。

横尾忠則(よこお・ただのり)1936年生まれ。グラフィックデザイナーとして60年代から国際的な評価を受け、80年代の「画家宣言」以降は、人間の記憶や感情をテーマにした絵画活動を中心に、多彩な創作活動を続けている。現在、3月2日から、カルティエ現代美術財団で開催される個展のための制作に多忙な日々を送っている。一月には東方出版より「Y字路」の作品集が刊行された。

横尾忠則の温泉主義

一覧(33件)

ファイブエルストア

[ファイブエル]バックナンバー