「柱のきずは おととしの 5月5日の 背くらべ」。童謡「背くらべ」の一節である。「ちまきたべたべ」背を測ってくれたのは母さんだと思っていたのだが、兄さんらしい。どうやら記憶ちがいのようである。それとも私に兄が居なかったせいなのかもしれない。
『ALWAYS 三丁目の夕日』はそんな懐かしい少年の頃の思い出を甦らせてくれた。昭和33年といえば私は12歳、子供の頃住んでいた京都・深草の家には確か柱にきずがあったように思う。通っていた小学校の向かいにアメリカ軍のキャンプがあり、下校の折にはジープに乗ったアメリカ兵から悪ガキ共とチョコレートを貰った記憶がある。
学校の隣には「ひよこ売り」が居たり、怪しげな「透視メガネ」を売る人が居た。なけなしの小遣いをはたいてメガネを購入すると、レンズの奥に鳥の羽根が入っているだけという代物だった。
東京タワーには縁遠かったものの、力道山の試合を見るため、町内で唯一テレビのあった風呂屋へ行った。33年には大阪テレビ(のちの朝日放送)でコメディ「やりくりアパート」が始まり、大村崑と佐々十郎の名コンビによるダイハツ・ミゼットの生CMも人気を博した。
年表を繙【ひもと】くと、1月にはプロ野球「大阪野球倶楽部」を「大阪タイガース」と改称、3月には「伊丹飛行場」を「大阪空港」と改称、5月には「大阪府総人口500万人を超える」とある。読売テレビや関西テレビも放送を開始し、新しい時代の胎動が感じられる。
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子供たちに遺すもの
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