私の父は、博多にいたころから外に女を作り、そっちで暮していたが、東京でも事情は変らなかった(だから、アパート暮しをしていたのは、母と三人の子供だけだった)。
父の身勝手で苦労していた母にしてみれば、子供たちが父の弟の家までTVを「見せてもらいに」行く、というのは屈辱だったろう、と今にして思う。
我が家にTVが来たのは、私が小学校6年生のとき。クラスの中でもずいぶん遅かった。
今考えると、あのころの我が家によくあんな大金があったものだ。
しかし、私はそれほどTVにかじりついたりしなかった。
「TVばっかり見てないで!」
と、母から言われた憶えはない。
そのころのTVドラマはほとんどアメリカ製だったが、小学校に入る前から熱中していた手塚治虫の漫画に比べれば、それほど面白いとは思えなかった。
6年生のころには、ゲーテとかスタンダールを読み始めて、文学とフランス映画の世界に浸り始めていた。
「東京」という現実の場所より、映像の世界の方に、ずっとリアリティを感じていたのである。
何十年もたって、成瀬巳喜男の映画『稲妻』で、昭和27、8年ごろの銀座を画面に見たとき、
「あのころの銀座って、こんな風だったんだ!」
と、妙な懐かしさを憶えたのだった。
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特集――昭和30年代 |
東京という田舎
赤川次郎
赤川次郎(あかがわ・じろう)1948年福岡市生まれ。『幽霊列車』で「オール読物推理小説新人賞」を受賞。軽快な筆致で「ユーモアミステリー」というジャンルを拓いた。『三毛猫ホームズ』『三姉妹探偵団』などのシリーズ作品の他、『セーラー服と機関銃』『ふたり』など多くのベストセラーを輩出。05年、「日本ミステリー文学大賞」を受賞した。
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