でも城崎は、この小説を最大限に利用して日本有数の温泉地にしてしまった。志賀直哉様様である。神社のひとつでも建てて祀ってもバチは当るまい。夏目漱石の「坊っちゃん」でも道後温泉が登場するのだから、「坊っちゃん」としないで「道後にて」にでもしていたら、もっと有名になったかもしれない。志賀直哉の「城の崎にて」だって、草稿での題名は「いのち」だったのである。もし「いのち」だったら、城崎が志賀直哉とここまで密接に結びついたかどうか怪しいものだ。人間にカルマがあるように、題名にもカルマがあると思う。
最近、地方都市はどこへ行ってもシャッターが降りたままの店が多いが、ここ城崎は人通りも多く、賑わって活気がある。どの家も三階建で、まるでパリの建物のように高さが一定している。不思議に思って旅館から差し向けられたハイヤーの運転手に聞いてみると、大正の大地震の壊滅後、その時代の様式を残して街が復興したためだという。草津温泉で見たチロル風の家もあったりするが、よく見ると確かに共通の時代様式で統一されているが、一軒一軒は異なった造りになっている。こんな変化が街に活気を与えている原因かもしれない。
志賀直哉が投宿していたという三木屋旅館を左手に見ながら通り過ぎると、すぐ右側に創業150年という大きい門構えの西村屋本館がある。ロビーを中心に建物が四方に拡張しているようだが、その構造の全貌はつかめないほど大きい。とりあえず、ぼくの部屋に全員集合して一休みすることになった。そこで再び瀬戸内さんの手さげカバンの中から大きい洋菓子やわれわれへのお土産だという寂庵特製の縁起物のストラップがまたまた手品のように出てきた。
夕方まで街を散策しようということになって4人でぞろぞろ通りに繰り出した。黄砂は去って、空の青が街の中央を流れる大谿川【おおたにがわ】の水に映っている。川の両側から新緑に色づいた柳の枝が水面ぎりぎりまでたれ下がっていて、その下を群れをなした小魚がコンピューターの動きのように、ピッピッと角度を変化させながら泳いでいる。その中にたった一匹だけ赤い金魚が混じっているのが、なんともほほえましい。一見したところ倉敷のようにも、いつかテレビで観た中国の蘇州の街のようにも思えた。志賀直哉の「城の崎にて」に出てくる、魚串が首に刺さったまま川の中を逃げ回るネズミはどうやらこの大谿川らしい。そんな残酷な光景が頭に浮かんで、ぼくは一瞬気分が落ち込んだ。
城崎温泉
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