車窓から見る田園風景は、どうしたことか横山大観の朦朧【もうろう】派の絵画のように風景の輪郭がぼやけて、まるで厚い紗【しゃ】を通して見る舞台の向こう側のようにはっきりしない。ここは山陰。もしかしたら中国のゴビ砂漠から上昇気流に乗って運ばれてくる黄砂のせいではないかと思う。「そうよ、きっと黄砂よ」と今回の特別ゲストにお招きしている瀬戸内寂聴さんも同調。
瀬戸内さんとは京都駅で合流して城崎温泉行きの特急「きのさき号」に乗り込んだ。京都から城崎温泉までは1時間位だと想像していたら、とんでもない、なんと2時間半もかかるという。東京からだと、博多に行くのと同じだけの時間だ。ぼくの郷里は西脇で、同じ兵庫県だから、山ひとつ越えれば城崎という印象があったからよけいのこと驚いてしまった。
車中、Mさんが前もって注文していた仕出し弁当を京都駅で受け取っていたので、豪華な車弁になった。ところが瀬戸内さんは瀬戸内さんで、手品箱の中から鳩を出すように手さげカバンの中から巻き寿司やあんころ餅やゼリー状のお菓子などを次々と出して見せた。弁当の前にあんころ餅を食べるわけにはいかないので、とりあえず咽につまりそうな大きな巻き寿司をまずひとつほおばって、次に仕出し弁当に箸を差した。
さて城崎といえば歴史と文学を売りものにしている温泉である。なかでも志賀直哉の「城の崎にて」は「暗夜行路」と並び称される名作だという。彼の小説で読んだのは「和解」と「小僧の神様」だけだったので、こういう機会でもなければ読まないと思って、「城の崎にて」を読んできた。
この小説は市電にはねられて一命を取り止めた志賀直哉が、ケガの療養のために城崎温泉に長期滞在していた時の心情を綴った短篇だが、随筆とも私小説ともとれるもので、なんでも「心境小説」とよばれているそうだ。屋根の上のハチの死骸をあきもせず眺めているところなんか画家の熊谷守一さんそっくりだ。また子供たちに石もて追われている首に魚串が刺さった哀れなドブネズミの悲劇に出会ったり、殺す気もなく思わず殺してしまったトカゲなどを写実的な図鑑を見るように観察しながら自分の一命を取り止めた幸運とダブらせながら語る志賀直哉の死生観が「城の崎にて」で、どこにも温泉の話など出てこない。
城崎温泉
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