木村― 電通で、陽子さんという奥様に出会ったわけですね。
荒木― 新入社員は会社案内のための写真を撮らされていたわけ。それで「写真撮らせろ」って彼女のところへ行ったの、赤シャツで下駄はいて。半信半疑だったようだけど、私が上野高校卒とわかって、クッときたわけだね。彼女も下町の名門、都立白鴎高校卒だったからね。人生は学歴が大切ですよ(笑)。
木村― それは一目惚れだったんですか?
荒木― 勘というか、本能だね。彼女の暗さというか……、何かあるなあと思ったね。
木村― この『センチメンタルな旅・冬の旅』(年)には感激しました。
荒木― この写真集の前半部分は、1971年に私家版で1000部つくった『センチメンタルな旅』の一部だけど、それが「よし! 写真家になろう」という宣言の写真集だった。「新婚旅行などという、まったく私的なセンチメンタルな行為を写真集にして公にすることこそ、写真的行為だ」と、そういうことでつくったんですよ。
木村― 陽子さんは、最初にお会いしたときもこんな表情だったんですか。笑ってる写真が少ないじゃないですか。
荒木― この写真集では、ひとつも笑った顔がないんですね。本人も好きな写真がないって言ってた。でも、彼女の凄いのは、この自分たちの新婚旅行の凄い写真まで載っている写真集を友だちや上司に売ったものね。
結婚してからは、こんな写真ばかりじゃないですよ。
木村― 後半部「冬の旅」は泣けますね。
荒木― 前年に『冬へ』(年)という写真集があるけど、「冬へ」は「死へ」なんだよね。夏に陽子が「半年もたない」って言われてね、そんなこと彼女に言えないじゃない。それでも写真を撮っていると、そこに柳の写真があるでしょう、柳が揺れて、光が来るとボケてくるんだね。レンズがボケたのかなあとおもうと、涙なんだね……
まあ、この『センチメンタルな旅・冬の旅』が第一ラウンドの終りの写真集だね。このあとは何やってもいいってことだね。
木村― 荒木さんにとって、奥さんである陽子さんは、どういう存在ですか。同志ですか?
荒木― 同志じゃないね。彼女が三蔵法師で、私が孫悟空だね。彼女の手の上でぐるぐる回っていたんじゃないの。
最近になってつくづく思うのは、私を大写真家にするために、私に写真を究めさせるために自らの死を撮らせてくれたんじゃないかと思うんだよ。泣けるよ~。写真の頂点は、自らの愛するものの死を撮ることだからね。それを知ってて、自ら死んで私に撮らせてくれたんじゃないかと思うよ。
![[ファイブエル] 団塊世代のエンターテイメント誌 Entertainment Premium Magazine](/img/header_title_in.gif)



![[ファイブエル]バックナンバー](/img/side_backnumber.gif)