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荒木経惟 写真家

女性より写真が好きだね

(あらき・のぶよし)1940年5月25日、東京・三ノ輪に生まれる。下谷中学校から名門の都立上野高校に入学。同級生には作家の立花隆、美術史家の千足伸行がいる。59年、千葉大学工学部写真印刷工学科入学。ほとんど授業には出席せず、京橋のフィルム・センターで映画を見る日々をおくる。この頃、カメラ雑誌の月例コンテストに応募し、賞金を稼ぎまくる。63年電通に入社(~72年)。64年、「さっちん」で第一回太陽賞受賞。70年頃から大股開きのヌード写真展や「ゼロックス写真帖」などで、アヴァンギャルドな活動を激化させていく。71年、電通に勤めていた青木陽子と結婚、私家版『センチメンタルな旅』出版。89年8月妻陽子が子宮筋腫で入院し、翌年1月死去。現在まで、文字どおり数え切れない著書・写真集を出版。最新刊には『幸福写真』(ポプラ社)、『色淫女』(アートン)がある。

「やあー、いいねこれ!」――本誌「矢沢特集号」を持って現われたアラーキー
満足げ、しかし「もう少し撮りたかったな」
さっそく話題は、写真、陽子、幸福、そして女性へ……
熱く愉しいインタビュー終了後、美人編集者を引き連れ新宿の街へ
元気な「幸福写真家」、66歳

『さっちん』

木村― 荒木さんが写真家になられたのは、もともとはお父様がアマチュアのカメラマンで、その影響が大きかったようですね。

荒木― オヤジは下駄屋だったから器用で、写真も上手だったね。近所の人が写真館に行かないで七五三の写真を撮りに来たぐらいだもの……。当時、小学校の卒業アルバム用の写真も撮っていたけど、その時、校舎を撮っていたオヤジのカメラを覗いたのが、私のカメラ体験の始まりだね。黒いカブリ布のなかでファインダーに写った逆さまの校舎。あれは「もうひとつの世界に入る」という感じだね。写真を撮ってると、どうしてもあの世を感じてしまうのも、そういう体験があるからかもしれないね。

木村― じゃあ、当然のごとく写真家になろうと思っていたわけですか?

荒木― オヤジは職人だから、「写真館やるんだったら、大学なんかに行かなくてもいい」と言ってたんだけど、兄貴が「千葉大に写真をやる学部がある」と探してきて、それで千葉大工学部に行った。国立で学費も安かったしね。だけど工学部だから、写真を撮るんじゃなくて試験管なんかを降ってるだけ。ほとんど大学には行かなかった。で、なんとか卒業すると、電通があるというので就職して、ダラダラと……(笑)

木村― 電通では写真をやってたんですか?

荒木― 大学の卒業制作に、三河島のアパートに住む子どもたちを撮ったドキュメンタリー映画をつくった。その子どもたちに自分を見たんだね。ところがこれが失敗でね……。でも、その時同時に撮っていたスチール写真をまとめた「さっちん」で第一回太陽賞をとった。そういう勲章があったから、電通では、あまり仕事しなくとも大丈夫だったの(笑)。

木村政雄編集長 Special Interview

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