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小菅正夫

日本最北の動物園を入園者数日本一に再生させた旭山動物園園長

水中トンネルで上下左右に泳ぎ回るペンギンを見ることができる「ぺんぎん館」。この夏に開館予定の「チンパンジーの森」も、同様な三次元の「行動展示」施設となる。 北海道内陸の盆地に位置する旭川は、夏は摂氏35度、冬はマイナス30度にもなる、寒暖差70度という厳しい自然環境。そのうえ、冬は雪に閉ざされる。日本最北にある旭山動物園は、飼育環境の厳しさでも日本一なのだ。結果、獣医師として、飼育係として、小菅氏は大学時代の柔道さながら、動物飼育に全力投球。同時期に入園したあべ弘士氏(現在は『あらしのよるに』などで知られる絵本作家)たちと、定期的な飼育勉強会の開催や機関誌の創刊など、さまざまな新しい企画を立案、実現していった。
 だが、旭山動物園にはパンダのような人気動物もいなかったし、施設は次第に老朽化。入園者数は漸減していった。梃子入れで観覧車やジェットコースターなどの大型遊具施設も導入したが、それも一時的なカンフル剤に終わった。やがて、旭川市は最低限の予算しか組まなくなり、旭山動物園は真冬の時代が続いた。
 もちろん、小菅氏たちが手をこまねいていたわけではない。いかに入園者に楽しんでもらうかで勉強会は白熱、月一回から週一回とその頻度は増した。そして、「ワンポイントガイド」や「手書きポップ」など、飼育係が自ら動物を入園者に説明する新たな企画が実現した。
 「あの頃は自分たちが何をやっていきたいのか、やるべきなのかをじっくり考えられた時期でした。現在は新しい予算が付くだけに結果を求められるけれど、当時は何も期待されていませんでしたからね。自由にいろいろ考えて、それこそ、動物園とはどうあるべきかまで考えていた。今からすれば、自分にとってはありがたい時間だったのかもしれませんね」
 その頃、雑記帳やカレンダーの裏に「14枚のスケッチ」が描かれた。これは飼育係長に就いていた小菅氏を中心に、飼育係が理想の動物園を語り合い、あべ氏が絵にしていったもの。廃園も取り沙汰されるなか、それを阻止するための方策を話し合いながら、一方、理想的な動物園のありかたを議論していたのだ。
 「動物そのものに注目した動物園にしていきたいというのが、僕らのコンセンサスでしたね。その動物が持っている特徴的な行動こそが、彼らのもっとも優れた能力なので、それを入園者に見せていきたい。しかも、見せ物のように無理矢理でなく、動物の凄さを展示するにはどういう施設が必要なのか、と」
 小菅氏たちは日々、飼育係として動物に接し、来園者の反応も目の当たりにしていた。だからこそ、「14枚のスケッチ」にはそれまでの動物園になかった、斬新な施設が描かれていた。そこには、旭山方式とも呼ばれる、旭山動物園独特の「行動展示」施設の原型があった。
 ただ、現実の旭山動物園と彼らの夢の動物園との乖離はますます大きいものになっていった。施設の老朽化はますます進み、さまざまな新企画も奏功せず、来園者は減り続けていた。さらに1994年、最大の危機をもたらす事件が起こった。園内の動物がエキノコックス症で死亡。人間への感染の可能性は低いものの、大騒動になってしまい、動物園は途中閉園に追い込まれる。翌九五年、小菅氏は園長に就任したが、最盛期は60万人近かった年間入園者数は、96年には26万人にまで落ち込んでしまった。

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