いまはもう現役を引退してテレビのスポーツキャスターになっているが、江川卓選手が巨人入団のときの「空白の一日」というのもある。細かいことは忘れたが、ドラフト規定の期限の問題で、とにかくどちらにも触れない空白の一日というのがあることを発見し、その日に入団契約をしたのだ。
これは世間から轟々たる総すかんを食ったが、ぼくはよくぞそんな隙間を見つけたもんだと嬉しくなった。申し訳ないが、巨人ファンである。いやそうじゃなくても、このアイデアには感心したと思う。裏をかくということには痛快さがあり、むしろぼくにはテーマだった。
でも世間の常識は裏をかかれて怒った。世間の常識の、とくに知識人層はアンチ巨人こそ正義という風潮がある。だからこの空白の一日は悪魔のアイデアと思われて、以後江川選手はメディアの叩かれ役となっていったのである。
ホリエモンはこの逆のコースをたどった。近鉄買収問題でマスコミに登場以来、億単位の金をバックにしたTシャツ的発言とその振舞いが、むしろ人々に好まれ、メディアには恰好のニュースネタ人間として珍重されて、ホリエモンはそのみずからの人気を利用して一種の人気転がしとでもいうのか、いったんこう見せかけておいてから、それをこちらに回して、その上でそっちの方に持っていくというような具合で、法律の隙間からそうっと手を入れて、その指先を大金に伸ばしていったはいいが、とうとうその奥に控える手錠にガチャンとなった。
いや実際には逮捕はされたが、手錠は使われなかった。この辺はちゃんと訂正しておかないと、あとで法律に噛みつかれたら大変だ。
金で買えないものはない、という前言の取り消しを、いまは獄中で迫られているわけである。この言葉は正しいともいえるが、でも実行力が問題となる。いまの人々は論理にだけは屈服するから、金で買えないものはないといわれて、一瞬黙った。
これはたしかに理屈では正しい。愛も金で買えるといってしまうところが、ホリエモンの切れ味であったが、でも現実には、金があればという注釈がいる。その愛が一億円くらいならホリエモンにも買えるだろうが、一千億円だったらどうなるか。金で買えるのは確かにしても、金が足りない。世界中に極貧の人々は何千万人といる。その人々の幸福は、たしかに金で買えるともいえるが、その買う金がないから困るのである。金というのはあったらの話で、やっぱりフィクションなのではないのかな。
ホリエモンの休息
赤瀬川原平(あかせがわ・げんぺい)1937年、横浜生まれ。『父が消えた』で芥川賞受賞。『ふしぎなお金』『目玉の学校』など、著者ならではの、まともに考えれば考えるほど不可思議な人間社会の謎を探究する目からウロコの名著多数。
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