勝浦港の観光桟橋でタクシーを降り、前方に浮かぶ中ノ島の「ホテル中の島」に船で渡ることになった。島の一角をホテルがまるで城郭のようにぐるっと水面から突き出たように取り囲んでいる。船着き場がそのままホテルの玄関になっているのには驚いた。そして到着するなりホテルの喫茶室でぜんざいを食べた。さすがMさんも妻も食べなかった。通された部屋は3階で、二方の窓からは海しか見えないのでまるで船室にいるような気分である。
夕食のあと大浴場に行く。浴場には、たった一人しか入っていなかった。ふと奥を見ると露天風呂への入口があったのでドアを開けると、そこは地下へ通じるコンクリートの階段になっていた。裸のまま地下2階まで降りていった所に露天風呂があったが、辺りは薄暗く何やら恐ろしい雰囲気である。海が浴槽に接近していて大波でもくれば波にさらわれそうだ。大社でお祓いの時打たれた大太鼓のような音がするが、浴槽の縁に打ち寄せる波の音だ。こんなところに一人で入っているのも怖くなってきた。ふと横を見ると、そこは洞窟で内部が怪しく光っている。なんだか怪奇風呂にいるようで、ぼくはあわてて、また来た冷たいコンクリートの階段を駆け上って上の階の大浴場に戻った。
次の朝、昨夜とは別の正面の入口があることを知って、カメラを持って露天風呂に行った。ちょうどMさんもいて、「露天風呂の写真を撮っておきました」と言った。昨夜とずいぶん趣が違って、眺めは悪くない。湯の色はクリームがかったエメラルドグリーンで目の前まできている海の色とのコントラストがいい。
この島の一角である半島が突き出していて、小さな漁船などがいきかっているが、そこにいきなり露天風呂の岩の陰から観光船が現われた。船客の大部分は女性のようだ。その彼女たちがいっせいに首を後にひねるようにして、たった一人で入っているぼくを物珍しそうに眺めている。そこでぼくは全裸のまま観光船に向かってすっくと立ち上がり、「ヤッホー」と叫んで万歳をする。すると彼女たちは嬌声を上げて拍手をするだろうなあと思ったが、そんな勇気もなく、小さくなって湯の中から頭だけを出していた。
どこの温泉でもそうだが朝と夜では男女の浴槽が交代するが、このホテルはそれがない。というのは男風呂の斜め上が女風呂になっていて、もし上に男性が入ると女風呂を覗くから交代制度がないというのだ。じゃ男性は女性から覗かれるためにあるのかということになるが、女性だって男性の裸体に興味がないとは誰が保証できよう。
第1日目はこうして終った。
南紀勝浦温泉
横尾忠則(よこお・ただのり)1936年生まれ。グラフィックデザイナーとして60年代から国際的な評価を受け、80年代の「画家宣言」以降は、人間の記憶や感情をテーマにした絵画活動を中心に、多彩な創作活動を続けている。1月には作品集『横尾忠則Y字路』(東方出版)が刊行され、3月から5月まで、パリのカルティエ現代美術財団で個展が開催された。新刊として、自らの病気遍歴をまとめた『病(やまい)の神様』(文藝春秋)がある。
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