事務所には趣味で描く油絵が所狭しと置かれ、まるで画家のアトリエのよう
「こんなへたくそな絵を描いている」と言いながらも、うれしそう
インタビューは、少年時代から警察庁時代を経て初当選までの苦労談
そして話は早くも来年7月の参議院選へ
「見てなさいよ。参議院選後どうなるか……」自信たっぷりである
亀井静香 衆議院議員
いまこんな面白いことない
(かめい・しずか)1936年広島県庄原市川北町に生まれる。修道高校中退後、上京、都立大泉高校に編入。五六年、 東京大学経済学部入学。60年、別府化学工業(現住友精化)に入社。62年、警察庁に入庁。71年、警察庁警備局の極左事件に関する初代統括責任者となり、成田空港事件、連合赤軍あさま山荘事件等を陣頭指揮。77年、警察庁を退官。79年、衆議院議員選挙初出馬、「泡沫候補」と言われながらも初当選。以後今日まで衆議院選挙連続当選(十期目)。94年、自民党、社会党、さきがけ三党による村山連立内閣樹立へ奔走。運輸大臣就任。05年、自民党を離党し「国民新党」(綿貫民輔代表)結党。現在。国民新党代表代行。実兄は参議院議員、亀井郁夫。
木村― お生まれは広島県庄原市ですね。子どもの頃からガキ大将だったんですか。
亀井― ガキ大将というほどでもないけど、結構、好き勝手なことをしてました。
木村― それで東京へ来られるんですね。
亀井― 高校は「修道高校」という進学校だったんだけど、高校2年の時に放校処分になっちゃったんだよ。
木村― 何か事件を起こされたんですか?
亀井― 事件じゃない。定期を買うための通学証明書の発行を有料化すると通告されたわけ。それで亀井少年、怒ったわけよ。授業料を払っているんだから「金取るとは何事だ」というので、下手な字でガリ版刷りのビラをつくって校門で撒いたのよ。そうしたら大騒ぎになって……、担任の先生が「放校処分になったら傷がつくから、自分でやめたほうがいいんじゃないか」と。そんな学校に未練はありませんからね。それで東京へ来たんです。
修道高校では、ぜんぜん勉強しなかったから、東京に来て、日比谷高校なんか五つぐらいの試験を受けたけど、問題を見てもぜんぜんわからなくて名前しか書けなかった。最後に、都立大泉高校。ここは校長面接があった。「亀井君、名前しか書いてないじゃないか。どうする?」というから、「もう受けるところありません」と言ったら、「心を入れ替えて勉強するか!」って言うから、「はーい、しまーす!」(笑)。それで入れてもろうたんよ。
木村― 高校時代はどうでしたか。
亀井― あそこは男女共学なんだよ。転校してきたものだから、先生、面白がって当てるけど、ぜんぜん答えられんわけ。しかも広島弁でね。女の子はみんなキャッキャッ笑いまくるわけよ。密かに「いい子だなあ」と思っている女の子まで笑うから、痛く傷つけられてね。
それで中学3年の本を買ってきて勉強し直したんだよ。だって、内申書開けてみたらな、360名中、330番ぐらい。本当に私は落ちこぼれだったのよ。それで勉強し直したんだけど、まあ、勉強なんてちょっとすればね、なんていうことはない。
木村― そうですかね、そんなに簡単には東大へは入れないと思いますけどね。
亀井― 運輸大臣になったとき、これは大泉高校の校長先生のおかげだと思って、練馬まで訪ねていって、もうお亡くなりになっていたけど、仏壇に線香上げてきました。本当、私ってついてんだよ。そういう人に最後に巡り合ったからね。
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