あまりメディアに登場しなくなった理由は、もう一つある。彼女は学生でもあるからだ。2001年に法政大学人間環境学部に入学、同大学を卒業後、2005年には早稲田大学大学院公共経営研究科修士課程に進学しているのである。
「修士課程は今春、修了しました。私は実業家として社会経験もあるから、研究テーマの企業環境論は仕事と関わりがあります。ですから、普通の学生よりも断然、有利なんですよ。先日、博士課程を受験して、合格することもできました」
通常は2年かかる修士課程を、飛び級で1年で修了。社長業も昨年から今年にかけて15棟のホテルをオープンさせる多忙さ。本当は時間的にも精神的にも普通の学生より断然、不利なはず。しかし、それを仕事に関わりある研究テーマだから有利と、ポジティブに考えてしまうのが、元谷社長ならではの思考法だ。
「A P A という社名は「Always(いつも)」「Pleasant(気持ちの良い)」「Amenity(環境を)」を意味していますが、これが私たちが進むべきビジネスの方向性と考えています。それに、働く人の人間的な環境も含め、炭酸ガスや地球温暖化などの環境問題は今後、経営者が深く考えるべき問題です。そこで、大学、大学院で徹底的に勉強しようと決意したんです」
福井県立藤島高等学校を卒業後、福井信用金庫に入行。成績は優秀だったが、印刷工場工場長だった父が鉛中毒で身体を壊し、進学を断念したのだ。50歳を超えてから学究に燃えているのは、ここに原点があるようにも思える。
進学への思いは強かったが、気持ちの切り換えは速かった。入行後、遮二無二働き、抜群の営業成績を上げ、すぐに頭角を現わした。そして、夫・元谷外志雄(現APAグループ代表)と知り合ったのもこの頃である。信用組合の労組の集会で、小松信用金庫の労組書記長である元谷に見初められた。70年、22歳で結婚。家庭に入ったが、仕事を離れた時間は結局、短かった。長男の出産を控えた翌71年4月、夫が信金開発株式会社を起業したからである。この会社は社名からわかるように、信用金庫の暖簾分けという形でスタート、夫が在職時代に作った長期住宅ローンとセットで注文住宅建築を請け負う、新しいスキームを持ったベンチャーだった。
「夫も私も、とがったことをやりたかったわけではありません。ちゃんとした実需、需要を掘り起こし、雇用を創出して、適正利益を上げて、納税義務を果たし、よりよい会社作りをしていく。そして、地域社会からも社員からもいい会社だと認められる。私たちは、昔もいまもそういう会社を作ろうとしているだけです」
産後、創業2ヵ月目に正式に入社、夫をサポートして八面六臂の活躍。だが、同じ会社で妻が働くことへの逆風も強かった。創業時に採用したメンバーの一人は、自分をとるか妻をとるか、代表に迫った。最初から、答えは明解だった。夫としてではなく、代表として、元谷外志雄は妻・芙美子の仕事の手腕を認めていたのだ。さらに、その数ヵ月後には、夫婦を追い出すクーデターも勃発。この内紛劇の結果、創業時のメンバーは全員、会社を去ることになった。スタートは、決して順風満帆ではなかったのだ。
「出る杭は打たれる、みたいなところもありましたね。でも、そこからいい刺激をもらいましたし、むしろ注目されないほうが寂しいでしょう(笑)。それに、出る杭くらいのパワーがあったほうがいいですよ。杭は打たれてこそ、価値がある。打たれた杭が地盤を固めて、世の中のお役に立てますからね。ホテルやマンションを建てるときも、地盤を安定させるために打たれる杭が必要。打たれずに終わったら、ただの木偶の坊ですよ(笑)。意義を見いだせれば、多少嫌なことがあっても、何でもその過程まで楽しめます」
著書『私が社長です。』(IN通信社刊)にこうある。〈(私たち)ベビーブーム世代は数が多いから、自然にみんなと競い合いますので、余計に生命力旺盛になったから、「運のいい世代に生まれたもんや」と、思っています〉。
何ごとも「運がいい」と考える明るさは、天性のものだ。
元谷芙美子
急成長を続けるアパホテル株式会社取締役社長
五三歳から、大学、大学院へ進学
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