仙台に行く朝、現地で震度4の地震があった。地震は時には啓示を呼ぶこともある。
仙台駅からタクシーで有馬、道後と並んで日本三古湯でもある秋保温泉に向った。「秋保」と書いて「アキウ」と読む。初めて聞く地名だ。目的地はいつもMさんにおまかせして予備知識なしで行くのが、ぼくにとっては極上の楽しみになっている。
緑の濃い山道を小一時間ほど走ると秋保大滝がある。この滝は観光的には秋保温泉とセットになっているらしい。その昔、滝にえらい執心だった頃、ぼくは滝の絵葉書を1万3000枚もコレクションをし、美術館などでこれらを並べてインスタレーションをしたり、滝を主題にした絵をたくさん描いてきた。ところが今では滝には何の未練も情熱もわかない。秋保大滝の駐車場でタクシーを降りて辺りを見渡すと、どこかで会ったような人だけれどいっこうに思い出せないという経験がよくあるが、この場所がちょうどそんな感じだった。だけど体だけが記憶の底と繋がっているのか、Mさんと妻をおいてきぼりにして、ぼくの足は勝手に歩を速める。
ご当地物産を並べている出店の前を通って左の角を曲れば、その先は境内で、境内の脇を下っていくと滝の展望台があることはすでに体が知っているので、ぼくはその体に連れられて行った。ずんだ餅を食べた展望台の茶屋の存在もなぜか体が記憶している。不動明王が祀られている境内の太い杉の幹に無数の小銭が差し込まれている光景を見た頃から少しずつ記憶の底とピントが合ってきたような気がしないでもなかったが、それとて自信がない。「あなたはよく旅行をしてきたのできっとここにも来ているのよ」と言う妻の言葉にも疑問が晴れないが、体はウソをつかないことを知っているぼくは、この辺でここに来たことを認めるしかないと思った。それにしても、秋保を「初めて聞く地名だ」とは、よく言うわ。
今晩のホテル「佐勘」は伝承千年の宿である。ホテルのファサードの一部が車寄せになっていて、そこがまるで駅のプラットホームそっくりで、タクシーは列車が滑り込むように入って行った。広大なロビーには川が流れ、橋の下には緋鯉が壁の日本画の中から抜け出したかのように弧を描きながら泳いでいる。館内には「名取の御湯」、「河原の湯」、「大浴場」、「露天風呂」と、一回では入りきれないほど数々の湯がある。夕食前に入ったのは「名取の御湯・殿の湯」で、湯船には檜の幹を輪切りにした板片が十ばかり浮かんでいる。湯の中で無重力状態で浮いている自分の体を触ってみると、皮膚の表面がヌメヌメした被膜で全身が包まれているのに気づいた。こんなちょっとしたことが温泉の高級感を満喫させるのである。館内には料亭、クラブ、レストラン、カラオケバー、ワインバー、味処、喫茶室、大宴会場、パーティルーム、ガーデンプール、ショッピングプラザ、ギャラリーなどなど、あヽ、数え切れない。方向音痴のぼくは館内のエレベーターに乗って風呂に行くのだが、どうしても自分の位置確認ができず、広い館内をウロウロするばかりだった。
秋保温泉
![[ファイブエル] 団塊世代のエンターテイメント誌 Entertainment Premium Magazine](/img/header_title_in.gif)



![[ファイブエル]バックナンバー](/img/side_backnumber.gif)